ゴジラと『更地』

太田省吾

 ピーター・ミュソッフ氏がどんな方か知らない。ある日ミュソッフ氏の文章が、私の目の前に〈ぬっと〉現われたのである。半年以上前に送られてきていた本を、つい最近になってパラパラとやっていたら、つぎのような言葉の書かれた頁が目に入ってきた。

 

 “ああ、あそこが風呂だったんだ”

 “ダイニングがあっちか”

 “寝室”

 “あの壁紙を見ろよ”

 “オープンリールのレコーダーを置いていってるぞ。ふむ、二十年も前のステレオじゃないか”

 

 なんなんだこれは、と私は思った。まるで『更地』のせりふじゃないか。ミュソッフ氏の文章の、この前の部分に目をやると、こんなことが書かれていた。

 

  建物が解体されるとき、私たちが思わず見入ってしまうのは、たぶんこのためだ。半分ほどまで

 取り壊しが進んだころ、のぞき見をするときのなんとなく決まりの悪い思いと期待ほどじゃなかっ

 たというような軽い失望感を抱きながらも、私たちは足をとめて、みつめてしまうのである。

 

 建物の解体された後の更地、それを作品の舞台に設定しようとした時の私のイメージが、そのまま書かれているように思え、この作品を書いていた1991年自分の心の影を見ているようで、身のすくむような感じがした。

 『更地』の台本のはじめのト書きは、こうである。

 

 家の解体を了えた更地。

 夜の黒い更地に、白い流し台、便器、プランタン、古いラジオなどが、ぽつんぽつんと残されている。

 舞台両端に、崩れたブロックと廃材の山。

 

 このような舞台を思いついて、この設定にこれで作品が書けるというあたりを得ていた。

〈あたり〉とは、登場人物が動き出すあたりであり、その動きに沿っていくと私の表現してみたいものにぶつかるだろうというあたりである。

 ミュソッフ氏は、建物の解体後の地ならし工事にも思わず立ち止らせる力があると、つぎのように語っている。

 

  こうした光景は生活そのものの暗い坑道に射し込む光のようなものだ。墓のなか、子宮のなかを、

 ふと見てしまうようなものだ。(中略)都市生活のほとんどの部分はとばりに覆われ、人々は謎に包ま

 れたままの状態で生きている。けれども、ヴェールがふと上げられるときを待つこの気持ち(中略)

 それは一種官能的な楽しみである。

 

 そう、私も〈更地〉という設定にそのようなものを感じていた。ふだんの生活を覆っているヴェールを剥ぐ力を感じ、それを待つ気持を感じていた。

「なにもかもなくしてみるんだよ」―『更地』のセリフです。劇中、白い布で舞台全体を覆うシーンがあるのですが、そこで発せられるセリフです。〈更地〉は、ふだんの生活のヴェールを剥ぐ力をもった光景なのですが、それをより明確にするフィクショナルな仕掛として逆に白い布で覆うということで表現しました。

私たちの生活を覆うもの、それを社会の枠といいかえると、〈なにもかも〉とは、その社会の枠を形成しているさまざまな規範や価値の体系のことである。それを〈なくしてみる〉ということ。

 登場人物たちは、それによってなにかを手にしようとしている。生活を覆っているものを剥がさなければ見えないもの―この世の、与えられた時代の中に生れ、100年に満たない年月を生き、それを生涯として死んでいくわたしたち、つまり、偶然によって生れ、生の根拠が不明確で有限な、生命存在としてのわたしたち。そこに、なにかの意味を見出したい。

 ところで、あのミュソッフ氏の文章のテーマは「ゴジラ」論なのであった。あの怪獣のゴジラである。ゴジラが1954年に、東京湾からぬっとあらわれ、東京を破壊していく。

 ゴジラは、戦後九年経った日本の空に浮かんでいた〈美しいあぶく〉を踏みつぶすためにやってきたのだとミュソッフ氏は述べている。「平和主義のバブル、戦争の統括はできたというバブル、国家威信と再生のバブル、経済再建のバブル、平等主義のバブル、人生に意義があるというバブルである。」

これらのバブルは、「敗戦から立ち直るためには日本に不可欠のものだった。/けれども、無理な信念は、常にいつかひびが入ることをまぬがれない。1954年の東京にゴジラが突然ぬっとその姿を現したのは、日本の再建を支えてきた諸々の幻想は、やはり幻想に過ぎないということを示すためだった。幻想のバブルを崩壊させるほどのゴジラの憤怒を、都市、東京が受けとめたのである。」

このミュソッフ氏のみごとなゴジラ論を読みながら、『更地』を考えてみた。ゴジラが踏みつぶしていった都市、そこに再生してくる(それらなしには日々を生きられない)バブル、幻想、ヴェール、そしてその補強によって眼を覆われる生命は存在としての私たちの生の意味、それを剥いでみようとする場に立つ、男と女。

ミュソッフ氏によって、〈更地〉と〈ゴジラ〉が関係あることを教えていただいた。

なお、もう一つ赤坂憲雄氏のゴジラ論がある。ゴジラは皇居だけは踏みつぶさず、皇居の前で、まわれ右をして東京湾へ帰っていくというのだ。それは何故かということが論じられていた。

ゴジラは、ヘンな怪獣だ。

 

〔ピーター・ミュソッフ氏の文章は、「ぬっとあったものと、ぬっとあるもの―近代ニッポンの遺跡」(ポーラ文化研究所―『is』別冊)に収められた文章。赤坂憲雄氏の文章は、『物語からの風』(五柳書院)に収められている。〕

 

studio21 オープニング記念連続公演京都造形芸術大学
舞台芸術研究センター定期刊行物準備号 2001号4月14日発行 より