杉原邦生と『太田省吾』/杉原インタビュー

2000年から京都造形芸術大学で教鞭をとっていた太田省吾氏。2001年には杉原邦生が入学し、太田氏のもとで学んでいる。

杉原は太田氏から何を学んだのか。また、演出家・杉原邦生にどんな影響を与えたのか。

そして、その答えから見える『太田省吾』とは?

 

〈太田省吾との思い出〉

 

―――太田さんの授業はどんなものでしたか?また、その授業で一番覚えていることはなんでしょうか。

 

杉原:京都造形芸術大学入学当時は、舞台のこともまったく分からなかったし、もちろん太田さんのことも知らなかったから、このおじさんなんか不気味だなーって感じで、授業を最初に受ける時もワクワクなんてしてなかった(笑)でも、最初の講義の授業で「Powers of Ten」っていう映像作品のスライドを見せてもらって、それはスゴく印象に残ってる。確か「宇宙と人間」みたいな話をしていたと思うんだけど、いや、違うかも。でも、それを僕らに見せてくれる太田さんのことはよく憶えてる。半分くらいの学生が寝ている講義室で(笑)実技の授業で印象的だったのは、ゆっくり歩かされたってことかな、やっぱり。延々ゆっくり歩かされて、なんだこれ!?って思ってた(笑)これも演劇なんだーって思った。あと、いつもウォームアップでヨガをやっていたんだけど、死体のポーズっていう、床に仰向けに寝て呼吸を整えるポーズのときに、やっぱり学生は寝てた(笑)

大学院の授業で印象に残っているのは、ゼミで沈黙が多かったことかな。ゼミって学生も3~4人だから気まずいんですよ、空気が(笑)太田さんが「だからさ、」って何か話し出すのかなーって思って、学生はちょっと緊張して次の言葉を待っているのに、15分後くらいに「じゃ、終わろうか」って終わっちゃうみたいな。マジかよーっ!?って(笑)

 

―――太田さんの第一印象と意外と思った一面、もしくは時を経て感じ方が変わったなど、あれば教えてください。

 

杉原:第一印象は、学科のボスゴリラ。意外な一面は、意外とスケベ。

 

―――太田さんの忘れられない言葉はありますか?

 

杉原:僕が初めて演出した『アドア』っていう作品を観て「君の演出が良かった。」って言ってくれたこと。

人生で初めて、僕の演出を褒めてくれた演劇人でした。

 

〈演出家・太田省吾〉

 

―――初めて太田さんの作品に触れたときの感想は?

 

杉原:大学に入学したての18歳のときに『更地 -韓国版-』を観ました。なんでか、もっと分かりにくいものって想像してたんだけど、純粋に楽しめて感動したのを憶えてます。衝撃っていう感じではなかったんだけど、なんかグッて掴まれた感じがした。そのことが今回の上演にも繋がってるから。

 

―――「更地」と対面しているいま、感じる太田さんはどんな印象ですか?

 

杉原:あんまし印象は変わんないですよ。でも、なんか、太田さんがつくってくれた“更地”という名の舞台で遊ばせてもらっている感じはするかな。でも、その“更地”を飛び出す気持ちでやろうと思ってます。軽々と。ま、それがけっこー難しいんだけど。

 

―――KUNIO10「更地」の意気込みとみどころを太田省吾に向けてお願いします。

 

杉原:KUNIOも今回で10公演目。その節目に太田さんの作品を上演するってことは、僕的にもKUNIO的にも挑戦。この作品をしっかりと上演して、演出家として次のステップに進みたいと思ってます。

学生時代、僕らが大学のラウンジで公演の打合わせをしていると、太田さんがニヤニヤしながら近寄って来て「次はどんな悪巧みだ?」ってよく声をかけられていました。だから、今回の悪巧みもニヤニヤしながら観ていて欲しい。サイコーの悪巧みにします!(笑)