創作過程〜
稽古場レポート

第1回 『グリークス』の“プロローグ”

「スーパーに買い物に来たような感じで、お願いします」。
2019年5月下旬、KUNIO15『グリークス』の稽古場で、演出家・杉原邦生はこう口にした。上演時間約10時間のギリシャ悲劇、稽古は始まってまだ数日。稽古場には長机がコの字に置かれていて、そこに出演者たちの顔が並んでいる。杉原と2人の演出助手が座る演出席は、俳優陣に対する形で設けられていた。
 出演者と杉原は、この日、台本の読み合わせを粘り強く続けていた。10本のギリシャ悲劇をひとつの長編に再構成した、全10幕からなる『グリークス』は、各幕がある程度独立しながら、しかし一貫した物語となっている。読み合わせが進められていたのは「プロローグ」。どのようにして世界は始まったのか、ギリシャの女性たちが語り合う場面からこの長い物語は幕を開けるのだ。開幕早々、とてつもない量の情報が一気に飛び込んでくる。もっとも、ギリシャ悲劇ゆえに現代を生きる私たちには耳なじみのない言葉も多く、そのすべてを観客席まで一度に届けることはそう簡単ではなさそうだ。
 しばし読み合わせが繰り返されたのち、杉原が言ったのが冒頭の言葉、「スーパーに買い物に来たような感じで」だ。実は、このとき杉原は、戯曲には「歳のいった四人の女が登場」と書かれている場面を、老婆・母親・娘の3世代が自分たちの世界と時間について語り合うくだりとして捉えてみようとしていたのである。ならばいっそのこと、日常の延長上、スーパーで買い物をしている家族の雑談のようにしてギリシャ悲劇が語られはじめたら、いったいどうなるのだろう?

杉原作品といえば、ポップでスタイリッシュな印象や、せりふをラップに置き換える演出などが取り上げられることが多いが、その特徴のひとつは、どんな戯曲や物語にせよ、現代の観客との間に大きな橋を架けてみせる手つきにある。たとえば木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談-通し上演-』では、鶴屋南北の描いた江戸の、猥雑さの残るエネルギーで観客を巻き込み、人々を襲う事件の数々を観客に“目撃”させた。またKUNIO08『椅子』では、老人と老婆を見えざる客人たちが訪ねてくる場面で舞台と客席の境界が溶け、観客は文字通りその場に立ち会うこととなった。作品によって手法はさまざまだが、杉原は舞台上の出来事を観客のもとへ積極的に繋いでいく。また観客の側も、それによって作品の世界へスムーズにアクセスできるのだ。
 『グリークス』の稽古場では、まずは古代ギリシャという設定や、そこで語られている言葉をダイナミックに変換するのではなく、互いにイメージを共有し、ゆるやかに現代に引き寄せていくという地道な方法から試行錯誤が始められていた。せりふの解釈を話し合い、イメージを共有する中では、「スーパーに来たような」瞬間もあれば、かつて実在しただろうギリシャのイメージを全員で想像することもあった。たとえば、プロローグの冒頭で女性たちが駆け抜ける浜辺にはどんな風景が広がっているのか。それはまるで、「森の中を走ってきて、一気に視界が開けるような」。あるいは、「青空と海と船が、まっすぐ目に飛び込んでくるみたいな」。稽古場ではイメージを直接的に示す言葉が飛び交うこともあれば、質問が投げかけられることもある。「どれくらい走ってきたんだと思いますか?」「船が見えた時、どんな気持ちになったんでしょうね」。あまたの船舶が浜辺に停まり、海岸にトロイア戦争の英雄たちが立つ風景のイメージが少しずつ固められていく。
 この日の読み合わせでは、戯曲のせりふがさっそく編集され始めていたのも驚きだった。小澤英実氏による新翻訳は耳で聴いても分かりやすい言葉で綴られているが、さらにシンプルなせりふ、イメージを届けやすい展開を目指して、杉原は言葉を文節単位でカットしたり、順序を入れ替えたりと調整を重ねていく。かねてより「作品を上演する際には演目の歴史に敬意を払いたい」と話してきた杉原は、演出席に過去の翻訳版や戯曲の原文、さらには『グリークス』を構成するギリシャ悲劇のテキストを置き、しばしば参照しながら、自分なりの改訂案を模索。台本に手を加えながら読み合わせを試し、同時に俳優や演出助手に意見を求め、ブラッシュアップと調整をおこなっていた。

女性の言葉から始まる『グリークス』は、想像を絶する血と争いの悲劇へ転じ、やがて、とてつもなく長い時間へとまたがる物語だ。すなわち、その幕開けを飾るプロローグとは、10時間にわたる〈世界〉が生まれる場面となる。そんな大切な局面に向き合う稽古場もまた、作品づくりのプロローグというべき時間だ。「はじめに神は天と地を創造した」とはギリシャ神話ではなく旧約聖書「創世記」の言葉だが、いうなれば稽古場は、「これからどうやって踏みしめる地をつくり、見上げる空を想像するのか」という状況。10時間に及ぶ大作の、途方もないクリエーションはまだまだ始まったばかりである。
 ところで、「スーパーに買い物に来たような感じで」はその後どうなったのか。なんと、この「プロローグ」の場面は、筆者が1週間後に、さらにその1ヶ月後に稽古場を訪れるたび刻々と形を変えていったのだが、それはまた別の話。KUNIO15『グリークス』の〈世界〉がいかにして生まれ、物語がどんなふうに始まるのか、その最終形は劇場でご覧いただければ幸いである。

稲垣 貴俊 INAGAKI Takatoshi

執筆業。主に海外ポップカルチャー(映画・ドラマ・コミックなど)を専門に執筆・取材活動を展開。『シャザム!』『ポラロイド』劇場用プログラムへの寄稿、ラジオ番組出演なども行う。演劇作品にも携わっており、過去には、木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』『三人吉三』『勧進帳』(2016年版)『黒塚』『心中天の網島』などで補綴助手を務める。KUNIO作品では『水の駅』で文芸を担当した。

KUNIO15
グリークス

11月10日(日)
京都芸術劇場春秋座
11月21日(木)〜30日(土)
KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
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