創作過程〜
稽古場レポート

第2回 緊張と緩和

こんなに笑って良いものか。2019年6月下旬、KUNIO15『グリークス』の稽古場では、 すでに読み合わせもあらかた終わり、全10幕を立体化していく作業がぐいぐい進められていた。全10本のギリシャ悲劇によって構成される『グリークス』は……そう、ギリシャ“悲劇”である。だからこそ、こんなに笑って良いものなのか。しかし稽古中には爆笑が起こることも珍しくないし、なんなら、ほとんど終始笑いが起きているシーンもある。いったいどういうことなのか。

現在、日々行われている各場面のシーン作りでは、台本の読み合わせからそのまま発展して、出演者と杉原が、ひたすら登場人物の核を掘り下げるという作業が繰り返されている。その様子はおおむね――こう言えば聞こえは良くないかもしれないけれど――決してダイナミックなものではない。せりふや動きを一人ひとりがどう考えるのか、その演技がどう見えるのか、全体を杉原がどう見せようとしているのか、それらの積み重ねで何が見えてくるのか、ひたすらにトライ&エラーとチェックが続けられるのである。
 この日の稽古場では、スムーズにシーンが立ち上がらないことから、あるやり取りの場面が幾度となく繰り返されていた。こういう時、やはり空間には独特の緊張感が張り詰めているもの。杉原は俳優に対して、「言葉の裏側にあるものをイメージして」「自分の発する言葉にイメージを持って」という言葉を投げかけていた。
 たとえば、第一幕「アウリスのイピゲネイア」では、父親アガメムノンが戦場へと船を出すため、やむを得ず娘のイピゲネイアを神に捧げようとする。騙されていた娘は、自分を生贄にすると決意した父親に向かって最後の説得を試みるのだ。この場面で杉原は、「言葉の勢いではなく、もっと大きなイメージを示して訴えかける」イピゲネイアの姿を求めていた。また、第二幕「アキレウス」では、英雄アキレウスがアガメムノンと対立し、戦場を離れて葛藤する。友人や仲間に説得されてもなお、アキレウスは戦場へ戻ろうとしない。その心情と行動原理はどうすればクリアに見えるのか、どう示されるべきなのか。
 せりふの一言、動きのひとつに至るまで、杉原はあらゆる角度から問いを立てる。なぜそのトーンで話すのか、なぜ相手の言葉に反応できたのか、喋っていない時間はどんなことを考えているのか。杉原は演じ手の意図を聞き取りながら、自らのビジョンとの間で調整を重ね、表現の強弱やリズムにもオーダーを出していた。せりふや動きがわずかに変化することで、言葉の聞こえ方、人物の心理の浮き出し方が大きく変わり、そこにドラマの種が着実に埋め込まれていく。
 ところで印象的だったのは、この日の杉原が、「せりふや動きを自分自身に引きつけすぎないで」ともたびたび口にしていたことだ。ギリシャの女性たちの語りを「スーパーに買い物に来たような感じ」で捉えようと試みていた杉原だが、時には、現代の感覚でスムーズに理解できないポイントに想像力を働かせることも同じく重要視する。たとえば木ノ下歌舞伎『勧進帳』(2016年版)では、歌舞伎言葉がほぼすべて現代語に訳されたが、それだけで舞台上の出来事が現代の私たちに迫ってくるわけではない。むしろ、言葉が観客の日常に近づくぶん、人物の“理解しがたさ”があらわになることもあるのだ。しかし杉原は、「どんなに特殊な設定や状況でも、人物が大切にしているものが分かれば、観る人の心には届く」と言い、その“理解しがたさ”を、私たち自身の日常的なリアリティへと簡単に繋げることはしていない。
 こうした稽古が続けられる『グリークス』の創作現場では、出演者からのアイデアとプランが次々と、さながら速射砲の勢いで繰り出されてくる。その中には胸を打たれるものもあれば、すっかり物語の中へ引き込まれるものもあり、そして思わぬ笑いをもたらすものもある。つまり、これらすべては地道な作業の、ひいては創作することの緊張感から生まれるもの。稽古場に起こる爆笑は、いわば「緊張と緩和」の「緩和」でもあるのだ。とはいえ冒頭にも記したように、この作品はギリシャ悲劇である。果たしてこんなに笑ってしまって良いものか……そう思いながら辺りを見回してみると、だいたいの場合、杉原自身が誰よりも笑っていることに気づかされる。ということは、やっぱり「笑っても良い」のだ!
 もっとも、同じくギリシャ悲劇を上演したKAATプロデュース『オイディプスREXXX』にせよ、それ以前の作品にせよ、杉原作品の笑いは――もっといえば“陽性”な部分は――多くの場合、悲しみや怖さ、ほろ苦さと表裏一体になってきた。にこやかな状況が悲しい現実をあぶり出したり、一見すれば恐ろしい人物に思いのほかキュートな一面があったり(その逆もしかり)、人々が死後に送られる「地獄」がこれ以上なく愉快な場所だったりしたのである。木ノ下歌舞伎『黒塚』の場合は、観客が登場人物を見て笑うこと自体が、人間が他者を笑ったり面白がったりすることの残酷さを浮き彫りにもしていた。
 ちなみに杉原演出には陰の特徴があり、素直に観ていると、笑って良いのか良くないのかさえ判然としない、シュールで謎めいた瞬間も突如やってくるもの。「いったい何を観ているんだ…?」と思わず呆気にとられるかもしれないが、これは「客席全体にクエスチョンマークが浮かんでいるような時間が大好物」という杉原の得意技のひとつ。これは『グリークス』にも当然健在で、出演者のあの方も、この方も、まんまとその餌食になっている。

稲垣 貴俊 INAGAKI Takatoshi

執筆業。主に海外ポップカルチャー(映画・ドラマ・コミックなど)を専門に執筆・取材活動を展開。『シャザム!』『ポラロイド』劇場用プログラムへの寄稿、ラジオ番組出演なども行う。演劇作品にも携わっており、過去には、木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』『三人吉三』『勧進帳』(2016年版)『黒塚』『心中天の網島』などで補綴助手を務める。KUNIO作品では『水の駅』で文芸を担当した。

KUNIO15
グリークス

11月10日(日)
京都芸術劇場春秋座
11月21日(木)〜30日(土)
KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
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