創作過程〜
稽古場レポート

番外編 現代ポップカルチャーの最前線、『グリークス』

「とてつもなく長く、とてつもなく古い物語が、時代の最前線をひた走っている」。
 上演時間10時間、KUNIO15『グリークス』の東京プレビュー公演・京都公演が終了しました。全10本のギリシャ悲劇を、演出家ジョン・バートンと翻訳家ケネス・カヴァンダーが英訳・再構成した戯曲『グリークス』は、全3部・全10幕・全100場という長大な物語。日本国内で一挙上演する試みは、いまだ片手で数えられるほどしか例がありません。このたび、演出家・杉原邦生と総勢26名の出演者、そしてスタッフ陣は、そんな超大作に挑んでいます。
 ギリシャ悲劇といえば、あらゆるドラマのルーツとされる、いわば古典中の古典。しかし今、『グリークス』を10時間かけて観てみると、その新しさが浮かび上がってきました。本稿では、あえて本作を“最先端のポップカルチャー”の中で捉えてみることにしましょう。ここには、ストーリーテリングのありかたに激動が起こった2010年代ならではの、またNetflixに代表されるストリーミング時代の「10時間の演劇」の形があります。

2010年代、映画・テレビを中心とするエンターテイメント業界のストーリーテリングは大きな変化を遂げてきました。主なキーワードは、各国のエンタメ企業が熱い視線を送る「ユニバース構想」と、NetflixやHulu、Amazon Prime Videoなどのストリーミング・サービスです。
 「マーベル・シネマティック・ユニバース」(MCU)をご存知でしょうか。現在、ユニバース構想で最も大きな成功を収めているのが、この「MCU」です。2008年、ロバート・ダウニー・Jr.主演の『アイアンマン』で始まったMCUは、あまたの映画が世界観を共有し、あのヒーローも、この悪役も、全員が同じ世界に存在するという壮大なプロジェクト。無数の物語が繋がり、人気キャラクターが満を持して共演するのが――おそらく名前は誰もがご存知でしょう――あの『アベンジャーズ』シリーズです。2019年11月現在、MCUには全23本の映画が存在し、ほぼ全作品が繋がって一大絵巻を織りなす構造が実現しています。驚くべきは、そんな巨大シリーズを世界中の観客が追いかけているところ。2019年、集大成となった『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、全世界興行収入の歴代記録を10年ぶりに塗り替えました。
 かたやテレビの世界では、ストリーミング・サービスの普及に力を借りて、かつては映画より低く見られていたドラマの地位向上が行われてきました。とりわけ熱狂的に愛されたのが『ブレイキング・バッド』『ウォーキング・デッド』そして『ゲーム・オブ・スローンズ』。なかでも『ゲーム・オブ・スローンズ』は、七つの王国を統べる王座をめぐる戦争を壮大な世界観と激しい描写で描き出し、2011年の放送開始後、たちまち全世界で社会現象を巻き起こしました。2019年の最終シーズンでは、全米ドラマ視聴者数の最高記録を更新しています。
 そんな中、ストーリーテリングの革新に大きく貢献したのは、ストリーミング大手のNetflixでしょう。同社は『ストレンジャー・シングス 未知の世界』などの話題作を独自に手がけていますが(日本でも『全裸監督』が大きな話題を呼びました)、特に新しかったのは、ドラマを週に1話ずつ見せるのではなく、全エピソードをいきなり一挙配信する方法を採用したこと。これを受けて、視聴者がシリーズを一気見する「ビンジ・ウォッチング」という視聴スタイルが誕生。作品が“ビンジ”されることを前提に、従来の、次回の内容が気になる展開を各話に用意する手法(通称「クリフハンガー」)ではなく、10時間でひとつの物語をじっくり描くという方針の作品が急増しました。新たに登場したこれらのドラマ群は、しばしば「10時間の映画」とも呼ばれます。
 このように2010年代には、“長い物語”が広く受け入れられる土壌が世界の劇場で、リビングルームで、そしてスマートフォン上で形成されてきました。もとより日本では、NHKの大河ドラマや朝の連続テレビ小説が“長い物語”として親しまれてきましたが、そうした形式が全世界を巻き込む一大トレンドとなったことはほとんどなかったのです。

そろそろ『グリークス』の話題に戻ることにしましょう。2019年秋、とてつもなく長い物語に世界中が熱狂した2010年代の終わりに、10時間のギリシャ悲劇が上演されることは、それだけで十分象徴的なことです。
 「10時間の映画」ならぬ「10時間の演劇」である『グリークス』は、異なる10本のギリシャ悲劇が連なった“長い物語”。しかし戯曲を読むかぎり、そこに、いわゆる従来のテレビドラマ的な「次のエピソードに観客の興味をどう引っ張るか」という切り口はほぼ見られません。もともと、古典中の古典たるギリシャ悲劇ですから、当然といえば当然でしょう。しかし、そんな物語を一挙上演する試みは、奇しくも“ビンジ文化”が隆盛を迎えた現代ポップカルチャーの、「ひとつの物語を10時間かけて見せる/見る」というトレンドに重なるもの。本作が「ギリシャ悲劇」という、あらゆる物語のルーツを掘り下げる、原点に回帰する作品であることもポイントです。
 ちなみに『グリークス』は、全10幕がそれぞれ独立しながらも繋がっており、その連なりで大きな神話が浮かび上がるという構造。前述の「ユニバース構想」を思わせますが、これはむしろ現代のストーリーテラーたちが、いまだギリシャ神話、ギリシャ悲劇を参照していることを示唆するものでもあります。「ユニバース構想」の筆頭であるコミック映画の作り手たちが、原作を“mythology(神話)”と呼ぶのも偶然ではないでしょうし、『ゲーム・オブ・スローンズ』はその影響がとりわけ顕著。あるエピソードでは、『グリークス』第1幕にあたる「アウリスのイピゲネイア」が参照されてさえいます。

10時間のギリシャ悲劇を一挙上演すること自体、まれに見る現代性があるわけですが、もうひとつ、あえて本作を“最先端のポップカルチャー”として捉えてみたくなるのは、演出家である杉原邦生が、演劇のみならず、映画やドラマ、音楽、ファッションといった異なる分野の表現を積極的に摂取してきたアーティストでもあるからです。
 たとえば古典作品にヒップホップを導入したり、衣裳にファッションのトレンドを反映したり、公演のチラシや、開演直前の会場に流れるBGMにさえ同時代の表現を取り入れてみたり。時には、YouTubeのスピード感に親しんでいる“今の観客”を引き込むリズム感を模索するなど、杉原は自身の作品を、つねに他分野の作品やクリエイターと照らし合わせているかのようです。
 そんな杉原は、10時間の長い物語を一気に語るという挑戦の中で、本作を――あらゆる文脈を押さえたうえで――あくまで純粋なエンターテイメントに仕上げています。KUNIO09『エンジェルス・イン・アメリカ』や木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』『三人吉三』という長尺作品を手がけてきた杉原にとっても、10時間という上演時間は史上最長。ですが、「10時間あっという間の作品を目指した」と言う杉原は、ドラマの根源たるギリシャ悲劇の持つ豊かな物語性を引き出しながら、めくるめく演出の数々で観客を導いていきます。
 ちなみに杉原は、『グリークス』の上演にあたり、こんな言葉を寄せてもいました。

「僕は〈大きな演劇〉が好きです。僕の言う〈大きな演劇〉とは、時間や空間、物量など物理的な〈大きさ〉の上に、物語としての〈大きさ〉をあわせ持った演劇のことです。簡単に言えば、長ったらしくて壮大なストーリーの演劇が好きということです。なぜなら、長い時間をかけることでしか表現できない物語や世界があるから。そして、そういう作品でしかつくり出せない祝祭的な時間と空間がたまらなく好きだから。」

世界的に“とてつもなく長い物語”が増えている背景には、観る側の需要のみならず、杉原が言うところの〈大きな〉物語を描きたいという、アーティスト側の欲求が高まってきたという側面もあります。現在、これまで映画界のトップランナーとして約2時間の物語を語ってきた監督たちが、こぞって「10時間の映画」に進出していますが、彼らが口を揃えて語るのは「長時間を費やさないと描けないものを作りたい」「従来型のストーリーテリングから脱却したい」ということ。そういった意味でも、本作はポップカルチャーの最前線に響き合っているといえるでしょう。

KUNIO15『グリークス』は、とてつもなく長く、とてつもなく古い「10時間のギリシャ悲劇」です。しかしポップカルチャーの潮流に本作を置いてみれば、そこには、あらゆる角度から強烈な同時代性が見てとれます。
 もちろん本作は、すべてが目の前で繰り広げられる演劇作品です。キャスト陣はリアルタイムで途方もないバトンリレーに挑むことになりますし、観る方も一日がかり。好きなタイミングで席を立てず、うっかりセリフを聞き逃しても巻き戻せないので、リビングやスマートフォンほど気軽に“長い物語”に身を浸せるわけではありません。しかし「長尺もののベテラン」を自認する杉原は、全員が同じ空間を共有する、ライブ・エンターテイメントとしての〈大きな物語〉の魅力を熟知しているはず。「10時間の演劇」を“ビンジ”するという類まれなる事件は、きっと、かつてなかった体験を観客にもたらすことになるでしょう。

稲垣 貴俊 INAGAKI Takatoshi

執筆業。主に海外ポップカルチャー(映画・ドラマ・コミックなど)を専門に執筆・取材活動を展開。『シャザム!』『ポラロイド』劇場用プログラムへの寄稿、ラジオ番組出演なども行う。演劇作品にも携わっており、過去には、木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』『三人吉三』『勧進帳』(2016年版)『黒塚』『心中天の網島』などで補綴助手を務める。KUNIO作品では『水の駅』で文芸を担当した。

KUNIO15
グリークス

11月10日(日)
京都芸術劇場春秋座
11月21日(木)〜30日(土)
KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
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